今読んでる集合知の本の中に、興味深いことが書いてありました。

 「極性化の進んだ集団では、言動の動機が疑われる場合が多い」

 極性化というのは、分断と細分化が強まって、自分と異なるものを「他者」「異端」「危険」と見るような状態だそうです。

(画像はイメージです)

(画像はイメージです)

 本日は、行政書士ADRセンター東京の調停人候補者実務研究会が今年度最後だったので、遅れながらも参加したのですが、調停ロールプレイを見ながら、集団でなくても同じようなことが言えるなぁと漠然と感じていました。

 同じ言葉を発していても、状況によって意味も受け取られ方も違います。

 例えば、「なぜそんなことをしていたんですか?」というセリフも、純粋な疑問からの質問と受け止められる場合もあれば、答えはわかっているのにあえて責める意図で口にしている、ということがあると思います。

 今日の研究会の事例はペットトラブルだったのですが、「今後も犬を飼い続けるつもりなんですか?」という一方当事者のセリフが、明らかに悪意に満ちている(あなたに犬を飼う資格なんかない、というようなニュアンス)のに、調停人が純粋な疑問からの質問(今後の予定としてどうなのか)と受け止め相手に答えを促したので、当事者間に溝が深まったような気がしました。

 外から見ている分にはよく分かりますが、やはり自分で臨まないとダメですね。自分自身、トレーニングの必要性を強く感じました。
 近いうちに機会を設けて行いたいと思います。